「倭国」から「日本国」へ 〜 九州王朝を中核にして 〜
挨拶
はじめに
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「弥生時代」について
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「縄文」から「弥生」への移行について
縄文時代についての捉え方
教科書の「縄文時代」について
「三内丸山遺跡」のこと
九州の縄文時代とその後の弥生時代
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琴と舞
舞と「昧」
古代の琴と弦の数
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弥生時代の始まりについて
「弥生時代」と「縄文時代」の画期
稲作の時期とルートについて
「瓊瓊杵尊」と「シリウス」
「シリウス」は赤かった?
「シリウス」と「朱鳥」
「シリウス」の伴星について
「シリウス」と気候変動
「前八世紀」という時代
「前八世紀」の気候変動と「鉄器」
宇宙線と気候変動
「シリウス」の新星爆発と放射性炭素(C14)
「天鈿女」と「西王母」
倭王権と環濠集落
弥生時代と倭王権
倭王権の交代(出雲から筑紫へ)
筑紫王権と方形周溝墓
高地性集落と津波
「銅鐸」と「津波痕跡」
「銅鐸」と「狗奴国」について
「荒神谷」の「荒神」とは
王権交代と「鉄器」
「銅鐸」と「卑弥呼」の祭祀
「倭奴国王」と「帥升」
『後漢書』の「倭国王」
「倭」と「倭国」、「倭王」と「倭国王」
出雲王権と筑紫王権
「奴国」の「奴」は「ぬ」
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魏志倭人伝について
『魏志倭人伝』とは
コラム「遠山の金さん」
『倭人伝』の行路記事と「短里」
『倭人伝』の行路記事と「短里」(二)
「邪馬壹国」の音価(発音)について
「二倍年暦」について(1) その起源
「二倍年暦」について(2) 『論語』において
「二倍年暦」について(3) 寿考とは
「女王国」の「領域」
「其北岸」と「南與接倭」について
「卑弥呼」の統治範囲について
「東南陸行五百里至伊都国」の謎
「伊都国」の位置と「末廬国」の港
「一大率」の拠点と伊都国
「筑紫大津城」と「一大率」
「邪馬壹国」の位置
「甕棺」と倭王権
「投馬国」に関すること
「投馬国」に関すること(二)
『筑後国正税帳』と「水行二十日」
「澣海」について
「生口」について
「持衰」と「瀚海」について
『魏志韓伝』の「弁辰狗邪国」について
「到」と「至」について
「卑弥呼」の「鬼道」と「銅鏡」
「卑弥呼」の身体能力
後漢滅亡と邪馬壹国
「大疫」と「倭王権」
「卑弥呼」の年齢
狗奴国と卑弥呼
邪馬壹国の組織
「郡県制」と「封建制」
「春耕秋収」と「出挙」(貸稲)
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「戸」と「家」
「戸」と「家」について(一)
「戸」と「家」について(二)
「戸」と「家」について(三)
「邸閣」について
倭国の「租賦」について
「伊都国」「奴国」の官職名
「伊都国」と「邪馬壹国」の関係
「奴国」と「邪馬壹国」
「銅鏡百枚」と「三角縁神獣鏡」について
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「張政」の来倭と帰国
「張政」の来倭と帰国(一)
「張政」の来倭と帰国(二)
「卑弥呼」の死去と葬儀
「已」と「以」の例
「卑弥呼」の墓と「薄葬令」
「男弟」と「難升米」
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五世紀の真実
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「倭の五王」について
「壹與」から「讃」へ〜四世紀の出来事
「三角縁神獣鏡」について
倭の五王と南朝遣使
人名比定の疑問点
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古墳と九州
石室の変遷
ピンク岩(馬門石)とは
前方後円墳の変遷
装飾古墳について
四隅突出型古墳について
古墳の変遷と九州
屯倉の設置
「関東」王朝と倭の五王
「杖刀人」について
「獲加多支鹵大王」と「雄略」
倭王「武」と『常陸風土記』
倭の五王の征服領域
「倭の五王」と「馬」
「倭の五王」と「鉄」
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「七枝刀」について
『七枝刀』と『請観音経』
「武」の即位の裏側
倭の五王と朝鮮半島出兵
朝鮮半島と「前方後円墳」
倭王「武」と「磐井」
隅田八幡宮の鏡と日十大王
「伊豫軍印」について
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「九州年号」の成立とその時期
「九州年号」に対する「疑い」の論旨について
『安閑紀』の「建号」記事
九州年号の遠距離の使用例
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九州年号の実使用例
「明要」年号と明要寺
「金光」年号と『請観音経』
「江談抄」の「僧要」年号
「命長」年号と善光寺如来
「大化」と「白鳳」
「白鳳」と「朱雀」
「白鳳」と「朱雀」(二)
「大長」年号
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「朱鳥」年号
「朱鳥年号」の独自性
「朱鳥」改元と「国号」変更
「朱鳥改元」年次について
「改元」と「建元」
『二中歴』について
「独自年号」と宗主国
「年号」不使用と暦
「公文」と「僧尼帳」
{律令」名と「年号」
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仏教の伝来の時期の問題
常識としての『仏教伝来』
『百済僧』『觀勤』の上表
『百済』からの仏教伝来の真の年次
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『二中歴』の「干支」に対する疑い
「年代歴」の真の年次�@
「年代歴」の真の年次�A
「年代歴」の真の年次�B(「万葉仮名」の成立)
「年代歴」の真の年次�C
「年代歴」の真の年次�D
「年代歴」の真の年次�E
「年代歴」の真の年次�F
「倭の五王」と仏教と道教
「武」の上表文と「杖刀人」
[+]
『二中歴』の「年始」とされる時期について
「年代歴」にいう「年始」の時期について
「都督」「太宰」と「倭国」
「都督歴」と「年代歴」
「結縄刻木」について
『推古紀』の「一二〇年」遡上と「二倍年暦」
「天然痘」と「武」の上表文
「文字成立」年次の「仏教伝来と同時」説について
「東国」における仏教受容の状況
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倭国の六世紀
暦の作成と天文観測
天文観測と肥の国
漏刻と改暦
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「磐井の乱」について
「磐井の乱」の疑問点
「磐井」の乱の真実
「岩戸山古墳」の生前造営の意味するところ
「庚午年籍」と「倭国」の領域
「和名抄」と「庚午年籍」
戸数の変遷と「磐井の乱」(一)
戸数の変遷と「磐井の乱」(二)
戸数の変遷と「磐井の乱」(三)
「猪」と「家畜」
阿蘇熔結凝灰岩の使用停止と蕨手文古墳
「神護石」について
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「評制」について
「評制」と半島の制度
「屯倉」と「評」
「屯倉」と「駅家」
「防人」と「評」制との関連
「評」制施行と惣領
「評制」と「都督」との関係
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「太宰府」について
「南朝」の都城と「太宰府」
『書紀』に見る太宰府
建築の歴史
太宰府の組織
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「阿毎多利思北孤」王朝
聖徳太子の非実在性
南朝仏教の伝搬と生まれ変わり説話
『法華義疏』について
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隋書たい国伝
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遣隋使と遣唐使
「寶命」の意義
「寶命」− 「唐」の「高祖」の場合
「寶命」について−-「隋の文帝」の場合
「宣諭」という用語について
「行程」記事の存在との関係
「隋」の「琉球」侵攻事件について
「唐」という国名の存在理由とは
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古田氏指摘のその他の事項について
「帝紀」と「列伝」の矛盾について
「朔旦冬至」の儀式への参加について
「裴世清」の肩書きの矛盾について
「元興寺縁起」に書かれた「裴世清」について
「国書」の文言の検証
「裴世清」を迎える儀礼の違いについて
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「大業三年」記事について
「重興仏法」その他の語と「文帝」の関係
「大業起居注」の欠如について
「倭」と「たい」の表記の差について
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「開皇二十年」記事について
「開皇二十年」記事について(一)
「開皇二十年」記事について(二)」
「開皇二十年」記事について(三)
「天子在東京」について
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高麗大興王とは誰か
高麗「大興王」とは誰か?(一)
高麗「大興王」とは誰か?(二)
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「隋」皇帝からの「訓令」について
「訓令」の中身
「隋」の「高祖」と仏教
「天子」自称の理由
「智蔵」法師の真の時代
「隋」の改元と「倭国」の改元
「七弦琴」と「五弦琴」
「七弦琴」と『源氏物語』
「五行」と「納音」(音律と音数)
尺八と遣隋使
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倭国の諸情報
「官位制」と「冠」の制度の差
「服装」について
「律」(刑法)について
「入れ墨」について
「鵜飼」のこと
その他風俗
「利歌彌多仏利」のこと
倭国の行政制度の変遷
『隋書』に出てくる「倭語」について
倭国の「本国」と「附庸国」
倭国への行程と都の位置
倭国の統治体制の変革
阿蘇山と「如意宝珠」
肥の国と「天子宮」
「申楽」について
「肥の国」と「能」「謡曲」などの関係
秦王国と豊国と蘇我氏について
「釆女」と「兵衛」
「裴世清」の来倭を「来迎」したのは「兵衛」
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「阿毎多利思北孤」とはだれか
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阿毎多利思北孤の業績
光明皇后と鬼前大后及び干食王后
藥獵(薬がり)と施薬院
「出雲」と医療
大国主と薬師信仰
「九州制」の施行
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「神功皇后」と「阿毎多利思北孤」
「厳島神社」と「神功皇后」の妹
「神功皇后紀」と「天孫降臨説話」
神功皇后と龍女説話
「天鈿女」や「天照」の服装と五世紀
五世紀の皆既食と「天の岩戸」伝承
「記紀神話」と「海人族」
「古事記序文」と『懐風藻』の主人公について
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法隆寺の創建について
「法隆寺」解体修理書の疑問点と「移築」
法隆寺の「寸法尺度」について
法華経講話と「法隆寺」創建について
斑鳩寺と火災について
「元興寺」と「法興寺」
「碾磑」について
「法隆寺」と「元興寺」
「法隆寺」創建仏像と「釈迦三尊」
中国で発見された「維摩経疏」残巻について
「法隆寺金堂」の「釈迦像」及び「薬師造」の「光背銘文」について
「瓦編年」について
「法隆寺」と「三十三間堂」
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「天王寺」と「四天王寺」について
「法隆寺」の四天王像と「天王寺」の四天王像
「天王寺」と「四天王寺」
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「妙心寺鐘」の由来について
「妙心寺」の鐘と「檀林寺」
「妙心寺」の鐘と「観世音寺」の鐘
「壇林寺」と「筑紫尼寺」
「筑紫尼寺」の実在性
国分尼寺と筑紫尼寺
「法華寺」と「檀林寺」
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二種類の『風土記』
いわゆる「筑紫風土記」の成立について
「狭義」の「筑紫」と「広義」の「筑紫」
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第一次「改新の詔」について
「改新の詔」の虚実
「周礼」と「改新の詔」
「大宰府」の条坊制
「六十六国」分国と「国県制」の施行
「国造」と「国宰」
「国宰」について(補論)
「国宰」の成立について
「大解除」記事について
「八十戸制」から「五十戸制」へ
「数詞形容」としての「八十」と「五十」
「前方後円墳」の築造停止と「薄葬令」
「哭」儀礼について
終末期古墳の大きさと薄葬令の関係
「鎮懐石」の重量と大きさから単位系を推測する
「魏晋朝短里」(周の古制)の使用されていた時期
萬国統治について
『書紀』の「彗星」観測記録について
屯田制と「利歌彌多仏利」
屯田と出雲
「安閑紀」と「宣化紀」の屯倉記事
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部民制と奴婢
「部民制」と「奴婢」(一)
「部民制」と「奴婢」(二)
「貸稲制度」について
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「皇祖大兄」とは
皇祖大兄一
皇祖大兄二
皇祖大兄三
皇祖大兄四
「阿毎多利思北孤」と「兄弟統治」について
栗隈王達の活動年次について
「斉明」と「舒明」
「吉備池廃寺」と「百済大寺」
「利歌彌多仏利」と「弟王」と「摂政」
公地公民制について
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戸籍制度の変更と均田制
戸籍制度の変更と均田制(1)
戸籍制度の変更と均田制(2)
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難波遷都と四天王寺
「難波」遷都と「四天王寺」(1)
「難波」遷都と「四天王寺」(2)
謡曲「岩船」と「遣隋使」
筑後の「正倉院」と「崇道天皇」
「天武朝」の「難波京」説批判�@
「天武朝」の「難波京」説批判�A
戸籍の改定
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古代の官道について
「難波大道」について
「山陽道」について
その施工主体と時期
「秦」の「馳道」と「直道」との関連
「狭山池」との関連
「古代官道」と「屯倉」
「吉備」の分割時期について
「法円坂遺跡」について
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「無文銀銭」について
「無文銀銭」とは
「無文銀銭」の製造について
「無文銀銭」の流通とその意義
「銀」に対する認識と「無文銀銭」
「厩戸勝鬘」とは
「善光寺如来」と『請観音経』
『請観音経』と「天然痘」流行
天然痘の流行時期について
「阿毎多利思北孤」と「市杵島比売大神」
「君が代」について
「なにはづ」の歌
「はるくさ」木簡について
『万葉集』について
「来目皇子」の軍の編成について
コンブとワカメ
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倭国の七世紀(倭国から日本国への過渡期)
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七世紀の改革
「忍坂王家」と「蘇我氏」
廣瀬大忌神と龍田風神
「放生」と「孝徳」
十七条憲法について(1)
十七条憲法について(2)
コラム鵲(かささぎ)の渡来と分布
「智蔵法師」について
「道慈」の年齢について
諱字と隋制
「釈奠」と「飛鳥浄御原律令」
「五衛府制」について
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「富本銭」について
「富本銭」鋳造について
「新型」の「富本銭」について
「富本銭」鋳造の意図
『懐風藻』の「淡海帝」について
「仁徳」と「利歌彌多仏利」
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七世紀の倭国の外交と遣唐使
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遣唐使外交について
連続「遣唐使」の内容構成の違い
「高向玄理」について
「日本国の地理」等の情報聴取について
斉明朝の「遣唐使」と「韓智興」
「韓智興」という人物について
「伊吉博徳」が言う「今年」とは
「西漢大麻呂」の讒言事件
「東漢草直足嶋」の「震死」事件について
遣唐使の目的と朔旦冬至
「海東之政」と「倭客」
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「難波副都」施行と諸改革
複都制(副都制)創設の動機と唐使「高表仁」
「高表仁」の来倭の年次と場所について
「阿麻来服」記事と遣唐使
「難波」副都と「筑紫」首都
「伊勢王」とは
「伊勢王」と「弟王」
「伊勢」と「神風」
「伊勢」と「倭姫」
コラム「むつらぼし」
「鞠智城」と「難波京」
「伊勢神宮」と「大嘗祭」
コラム「○(まる)と×(ばつ)」
「難波朝」と軍制
隼人と蝦夷に対する圧迫
日本版中華思想について
賀正礼と唐令について
「番匠」と「難波宮」造営
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「舒明」と「皇極」(「斉明」)について
「皇極」(斉明)と「高向王」について
「舒明」と「皇極」の即位について
「斉明」と「筑紫」
コラム「怒り心頭に発する」
「熟田津」の歌について(1)
「熟田津」の歌について(2)
「有馬皇子」の変と「中皇命」
亀形石と亀井の霊泉
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「唐」・「新羅」との戦いについて
「白村江の戦い」に至る経緯とその原因
筑紫君「薩耶麻」とは
「倭国軍」の戦い方について
「百済を救う役」と「天智」
「倭国軍」の構成について
「百済を救う役」における将軍の数など
「百済を救う役」の際の発進基地について
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百済禰軍墓誌について
「百済禰軍墓誌」についての見解
禰軍墓誌と劉徳高の来倭
「百済禰軍」の位階について
「唐人の計」と「格謀」
「僭帝」について
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天智の革命と日本国創立
「古事記序文」の主人公について
「古事記序文」の「戦い」について
「高市皇子」への挽歌と「古事記序文」
八世紀新日本国王朝と「天智」
受命と漏刻および改暦
「天智」の即位の場所
「天智」即位の年次
「天智」の即位の事情
「天智」と「新羅」の関係
「古事記偽書説」について
「天智」の正体について
称制期間の紀年干支の「ズレ」について
『善隣国宝記』の分析
「郭務宋」の派遣と「薩夜麻」の帰国
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「観世音寺」について
「観世音寺」の創建について
「千躰仏」と「三十三間堂」
「三十三間堂」の移築と変遷
阿弥陀信仰と阿毎多利思北孤
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「近江崇福寺」について
「天智」と「左手無名指」
「第四指」と「魔法」
近江崇福寺について(1)
近江崇福寺について(2)
近江崇福寺について(3)-「紫香楽宮」と「崇福寺」
近江崇福寺について(4)-菩提遷那について-
近江崇福寺について(5)-「先帝」とは-
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天智と弥勒信仰
「弥勒信仰」について
「弥勒仏」と太子像
「従白鳳年迄干淡海天朝」とは
「淡海天朝」とは
乙巳の変などの功田について
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『天武紀』の出来事
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「壬申の乱」とは
「大海人皇子」の実在性の欠如
「漢皇子」について
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「薩夜麻」の帰還
「薩夜麻」の帰国と近江朝廷
手に香廬を持っての誓いとは
大宮姫伝説について
童謡(わざうた)について
吉野と曳之弩
「天武」と「薩耶麻」
双方の軍勢と「軍防令」について
高市皇子について
「三野国」の特殊性
「古京」と「倭京」(一)
「古京」と「倭京」(二)
倭姫と「倭京」
「難波小郡」と壬申の乱
コラム「美濃囲い」
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『日本帝皇年代記』について
「鎮西」という用語の意味について
「西」の意義
「壬申の乱」と「乙巳の変」について
「天武」の時代の不穏な情勢について
藤原京とその「下層条坊」について
「下層条坊」の性格と「筑紫都城」との関係
大地震とその復興策
「藤原副都」遷都と『新唐書』
寺名改定の詔と薬師寺「移築」
瓦編年について
複弁蓮華文と筑紫
法隆寺移築の時期と理由
難波宮殿火災と遷都
「大嘗祭」の日付の変遷
「貧窮問答歌」について
「伊吉博徳」の官位について
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「持統朝廷」と「改新の詔」
「第三次藤原宮」について
『書紀』編纂過程の解析からわかること
「大宝二年戸籍」と女性人口について
「班田収受」の制度改定について
北部九州の地割制度について
実際に使用された「暦」は何か
「儀鳳暦」について
「干支」と命名法
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伊勢神宮の「式年遷宮」について
「蝦夷」の渡唐について
冬至之會と遷宮
国号変更について
「日本」という国号と「朱鳥」の関係
「日本」と「肥」の国
「持統」の「伊勢」行幸と「曲水の宴」について
「伊勢行幸」の目的とは
「三輪高市麻呂」の諫言の意味
『書紀』の成立過程と「難波宮殿」の焼亡の関係
九州の「畿内」と「評制」
「畿内」の範囲とその中心
「九州」と「近畿」の地名類似について
「筑紫」と「近畿」の地名類似について(2)
[+]
那須の国造韋提の碑について
碑文に示される「冠位」の解釈について(一)
碑文に示される「冠位」の解釈について(二)
「評督」授与の事情
「永昌元年」の謎
「永昌」改元について
[+]
「大伴部博麻」について
唐で捕虜になっていた可能性
本朝と天朝(一)
本朝と天朝(二)
「旧百済」国内で捕虜になっていた可能性
三十年に亘る補囚の理由
氷連老人と博麻達が同席していた理由
[+]
「持統朝廷」以降の「倭国王権」と「新・日本国王権」
[+]
「不改常典」と「十七条憲法」
「不改常典」とは
古田氏の見解について
「十七条憲法」とは
十七条憲法と維摩経と「天智」
「文武」と「南宮」
『日本紀』と『日本書紀』と『続日本紀』
「数字日付」と「干支日付」
『書紀』と『続日本紀』で『文武』の即位日干支が異なる理由
「文武天皇」と「清原大宮」
「文武」と「孝徳」の類似点
「庚午年籍」とその帰趨
「根子」について
「難波津」について
[+]
『続日本紀』と『書紀』の「記事」移動の痕跡について
[+]
『書紀』及び『続日本紀』の年次移動について
[+]
『書紀』の「三十四年遡上」
[+]
「正木氏」による「三十四年遡上」について
「天武」と「孝徳」の葬儀記事について
蝦夷の人数について
隼人記事について
僧尼献上記事について
「難波京」造営記事について
「八色の姓」について
「三野王」について
「伊勢王」について
「道光律師」について
天文観測記録の欠如とその意味
「舒明」「皇極」「天智」の稀薄性
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天武紀の諸改革について
「廣瀬大忌神・龍田風神」記事
「射礼」について
「占星臺」の建設
「大學寮」「陰陽寮」「外薬療」について
「薪新」記事について
「貸税」記事について
新羅王子「忠元」の来倭
「献杖」記事について
「放生」記事について
[+]
『書紀』の天武・持統紀における「記事移動」に関して
[+]
「田中朝臣法麻呂」に関する事
冠位の矛盾について
移動年数について
「秦造」に関する事
「三輪高市麻呂」に関する事
「新益京」に関する事
「多禰」等南島との交渉について
「筑紫史益」に対する「顕彰」の詔について
『持統紀』と『文武紀』の「新羅王」死去記事について
『天武紀』の「新羅王」死去記事の存在
「久努臣麻呂」の反乱記事について
「解部」の増員他の記事について
「神戸田地」の増加について
[+]
『続日本紀』に見える記事移動にについて
「婦女子」の「髪型」についての決まりの変遷
「跪伏之礼」について
民部省と大蔵省の地位の差
「飛鳥浄御原律令」について
「慶雲元年」の大赦記事について
「造船記事」と「惣領記事」
「田中法麻呂」の「喪使」として「新羅」派遣について
「始置鑄錢司」記事について
「隼人征討」記事
「大野城」などの修造記事
「国司」と「国宰」について
「東国国司」への詔について
「位記」と「笞刑」記事について
[+]
長屋王について
いわゆる「長屋親王」木簡について
「多治比三宅麻呂」の誣告事件
「お水取り」と「長屋王」
『懐風藻』の「日嗣」の審議
『懐風藻』の真の年次
長屋王と文武
「諱字」と『書紀』編纂
新唐書日本伝と漢風諡号
「平城京」遷都の理由
平城京遷都の実態と藤原遷都との比較
「藤原不比等」と「常陸」
「藤原不比等」と「鎌足」
「藤原不比等」と「羊大夫」伝説
コラム−「竹取の翁の物語」
「和銅」出土と「秩父」
[+]
「和同銭」の鋳造
和同銭鋳造の時期と理由
その意義
『続日本紀』等の記事移動についての総括
コラム「ささらえおとこ」について
[+]
八世紀以後の日本国のこと
倭国王朝の終焉
[+]
大宝律令と養老律令
漢音と呉音(一)
漢音と呉音(二)
『大宝律令』と「呉音」
『大宝令』と「古記」
養老令の成立の「遅れ」
「北方異民族」に対する対応の年次について
南朝文化から北朝文化への切替え
[+]
被差別部落と九州王朝
「部落」と「九州王朝」
白山と阿蘇山
九州王朝と「穢多」
「山上憶良」の「嘉麻三部作」
あとがき
御礼
[+]
投稿論文
[+]
採用分
常陸国風土記に見る国県制の成立と六十六国分国について
「百済禰軍墓誌」について
「無文銀銭」 −その成立と変遷−
「天朝」と「本朝」
「吉野」と「曳之弩」について
「八十戸制」と「五十戸制」について
「鞠智城」と「難波京」
「廣瀬」「龍田」記事について
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元興寺と法隆寺
元興寺と法隆寺(一)「改」
元興寺と法隆寺(二)「改」
「春耕秋収」と「貸食」
「皇帝の国」の発音
「妙心寺鐘」と「筑紫尼寺」について
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「熟田津の詩の別解釈」
(一)
(二)
「善光寺」と「天然痘」
『隋書』の行路記事
「古記」と「番匠」と「難波宮」
『隋書たい国伝』の「附庸」と「本国」
「倭国年号」と「仏教」の関係
「藤原宮」遺跡出土の「富本銭」について −「九州倭国王権」の貨幣として−
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未採用分
「海幸彦山幸彦神話」と「法華経」の関係
都督府と改新の詔
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白雉年間の遣唐使について
その一
その二
「古事記序文」と「天智天皇」
「難波朝」の「軍制」について −「五十戸制」との関連において−
「国宰制」の成立時期についての「補論」
「改新の詔」の時期について −「庚寅年」の改革とは
「筑紫都城」の変遷について
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不改常典と十七条憲法
不改常典と十七条憲法の関係
十七条憲法の成立について
「薄葬令」が出された時期について
『日本帝皇年代記』を見て気がついたこと
日本神話と星の世界
藤原京と下層条坊
持統の伊勢行幸と曲水の宴
阿毎多利思北孤と改新の詔
鎮懐石の寸法と重量
「貧窮問答歌」の成立について
「厩戸勝鬘」という人物について
「天王寺施薬院」と「出雲」について
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皇祖大兄とは誰か
皇祖大兄とは誰か(一)
皇祖大兄とは誰か(二)
「斉明紀」における「伊吉博徳」を含む遣唐使派遣の意義
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「戸」と「家」 −「公式」な「戸」と「非公式」な「家」−
(一)
(二)
高地性集落と津波の関係
張政の来倭について
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「一大率」と「大津城」
(一)
(二)
「記紀神話」の成立時期と「服装」
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「卑弥呼」即位について
(一)
(二)
男弟と難升米
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「持統紀」と「文武紀」の「新羅王」死去記事
(一)
(二)
「隋帝」による「訓令」とは
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「「近江大津宮御宇天皇」と「天智」
(上)
(下)
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シリウスと弥生時代の始まり
(一)
(二)
(三)
「七弦琴」の渡来と「隋帝」の関係
「七枝刀」と『請観音経』
「数字日付」と「干支日付」
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」不改常典」とは
「不改常典」とは―「十七条憲法」との関連で(一)
「不改常典」とは―「十七条憲法」との関連で(二)
「不改常典」とは―「十七条憲法」との関連で(三)
参考書籍など