ホーム:天智の革命と日本国創立:「近江崇福寺」について:

近江崇福寺について(3)-「紫香楽宮」と「崇福寺」


『日本後紀』には「崇福寺」と「梵釈寺」の両方について「禅侶の聖なる地」であることを述べる下りがあります。

『日本後紀』巻廿四弘仁六年(八一五)正月丁亥十五」「…又崇福梵釋二寺者。禪居之淨域。伽藍之勝地也。今聞。道俗相集。還穢佛地。繋馬牽牛。犯汗良繁。宜令近江国嚴加禁斷。若有不從制者。五位已上録名。六位已下留身。並言上。」

 ここでは、あたかもこの二寺院だけがいわば「特別扱い」されているように見えます。しかし数ある「寺院」の中でこの両寺院だけが「道俗相集、還穢佛地」であったとは思われません。多くの寺院においても同様であったのではないかと考えられます。しかし、「嵯峨天皇」はこの両寺院に限って「淨域」とし、また「佛地」であるとされ、その神聖性を保つようにと言う「勅」を出しているわけです。このことから、「嵯峨」にとって、「崇福寺」と「梵釈寺」は重要な意味を持つものと位置づけられていたようです。
 ところで、「梵釈寺」はその創建が「桓武天皇」の時代とされています。この両寺院が並び称されているように見える事から、「崇福寺」についてもそれほどその創建が遡らないのではないかという推定が出来ると思われます。
 また「崇福寺」の位置を推定可能な資料が存在しています。
 上の『日本後紀(逸文)』では「崇福寺」と「梵釈寺」が並べて記され、「梵釈寺」の別当が「崇福寺」についても兼務し、「検校」を加えるようにと「勅」が出されています。
 この「梵釈寺」はその場所が現「東近江市蒲生」付近にあったものと推定されており、これは「大津」の「崇福寺」とされる寺院のある場所からはかなり遠いものの、「紫香楽宮」からはほど近く、「崇福寺」が「紫香楽宮」至近にあったとすると納得のいく記述であると思われます。
 さらに同様のことは『日本後紀(逸文)』の「嵯峨天皇」の行幸記事からも言えそうです。
 そこでは「滋賀」の「韓埼」へ行幸するとして、まず「崇福寺」を過ぎた後「梵釈寺」へと行き、そこから「湖」(琵琶湖)へ出ています。
  
「弘仁六年(八一五年)四月癸亥【廿二】」「幸近江國滋賀韓埼。便過崇福寺。大僧都永忠。護命法師等。率衆僧奉迎於門外。皇帝降輿。升堂禮佛。更過梵釋寺。停輿賦詩。皇太弟及群臣奉和者衆。大僧都永忠手自煎茶奉御。施御被。即御船泛湖。國司奏風俗歌舞。五位已上并掾以下賜衣被。史生以下郡司以上賜綿有差。」

 この行幸ルートから考えた場合、これを旧「大津京」を経由したとすると、「梵釈寺」へ行く道順が「迂回」ルートとなってしまい、遠回りになってしまいます。そう考えると、これは旧「紫香楽宮」を経由して「梵釈寺」に行きそのまま「湖」(琵琶湖)へ出たものと考えるとわかりやすいと思えます。その場合「崇福寺」を「紫香楽京」付近に措定することが可能であり、また妥当であると考えられることとなります。(「梵釈寺」については創建時の場所は違うという説もありますが、詳細は不明であり、また再建される際に全く別の場所が選ばれる理由も併せて不明ですから、当初からここに存在したという可能性も高いと思料します)

 「嵯峨」の「詔」には「禅侶之窟」という表現がされています。この「窟」は「比喩」ではなく実際に「洞窟」状の地形をしていることを表していると見るべきであり、「崇福寺」がその背後に「崖」のようなものがあり、そこに「窟」があったことを推察させます。しかし「大津京」の至近にある「崇福寺」とされる「寺院跡」は、確かに山中にはあるものの「洞窟状」のものは発見されておらず、合致しないものと推定されます。
 それに対し「紫香楽宮」の「甲賀寺」の後背地には「崖」が存在しそこに「石仏」を刻む予定であったことが推定されています。(「聖武」は当初ここに「大仏殿」を建てるつもりでいたものであり、骨組みの中心となる部分までは建てられていたようです。

「天平十五年(七四三年)冬十月辛巳。詔曰。朕以薄徳恭承大位。志存兼濟。勤撫人物。雖率土之濱已霑仁恕。而普天之下未浴法恩。誠欲頼三寳之威靈乾坤相泰。修萬代之福業動植咸榮。粤以天平十五年歳次癸未十月十五日。發菩薩大願奉造盧舍那佛金銅像一躯。盡國銅而鎔象。削大山以構堂。廣及法界爲朕知識。遂使同蒙利益共致菩提。夫有天下之富者朕也。有天下之勢者朕也。以此富勢造此尊像。事也易成心也難至。但恐徒有勞人無能感聖。或生誹謗反墮罪辜。是故預知識者。懇發至誠。各招介福。宜毎日三拜盧舍那佛。自當存念各造盧舍那佛也。如更有人情願持一枝草一把土助造像者。恣聽之。國郡等司莫因此事侵擾百姓強令收斂。布告遐邇知朕意矣。」

「同月乙酉。皇帝御紫香樂宮。爲奉造盧舍那佛像。始開寺地。於是行基法師率弟子等勸誘衆庶。」

 このことから「紫香楽宮」至近に「崇福寺」の所在を想定することは可能と思われる訳です。


(この項の作成日 2003/01/26、最終更新2019/05/12)