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「持統朝廷」以降の「倭国王権」と「新・日本国王権」


 
 現在の「天皇家」は歴代「近畿」に本拠を置いてきました。それがどこまで遡りうるか、と言う話と、ここまで書いてきた事柄とが、直接つながらないのは、明白です。つまり、ここまでのいわゆる「倭国王朝」と「近畿天皇家の始原」としての「新・日本国王朝」とがどこかの時点で切り替わったと考えるよりないわけであり、それが何時、どのように行われたのか、その状況をここで説明し、「倭国王朝」がなぜ近畿王権主体の「新・日本国王朝」に替わることとなったのか、ということを、それに関係した人物達の動向と共に記します。