ここでは「九州年号」というものについて記します。
各地の寺や神社、あるいは古文書などいろいろな記録に古代天皇家の正史である『日本書紀』にはない「年号」が見つかっています。これらの年号を記す資料としては『二中歴』『本朝皇代記』『和漢春秋暦』『建長寺年代記』『麗気記私抄』『王代年代記』『勝山記』『海東諸国紀』『宝光寺年代記』『和漢合運図』『和漢合符』『三国合運』『和漢年代記』『王代記』『年代記』『建仁年代記』『如是院年代記』『襲国偽僭考』『興福寺年代記』『続群書類従本『善光寺縁起』』など各種、多数ありますが、たとえばその中の『襲国偽僣考』というものは、江戸末期の国学者「本居宣長」の弟子の「鶴峯戊申」という人物の著した書物で、その中にこれらの年号を列記している部分があり、彼はそれを「『九州年号』と題した古写本より引用したものである」旨の記述をしています。(しかしその古写本自体は現存していません)
また、熊本県で江戸時代に学者が作ったものを集大成した『肥後国誌』や『久留米史料叢書第六集』(久留米藩が江戸時代(寛文年間)に領内の各神社等に、それぞれの由緒を書き出すようにと通達を出し、各神社等が来歴を書いた手紙、公式文書を収録したもの)などがあります。
以上のような各種の書物に出ている「年号」には、異なる系統の種類の年号がいくつか確認されていて、やや混乱がありますが、整理すると五二二年(あるいは五一九年)の「善記」に始まり、七〇一年の「大宝」まで続きます。しかし、それらについては従来「実在性」に強い疑いがもたれていました。