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九州年号の遠距離の使用例


 「九州年号」についての「私年号」とか「偽年号」とかの疑いは、それが不当なものであることが証明するためには「広範囲」あるいは「遠距離」の地点である程度「関係」の薄い別個の「資料」に記載されている場合を検索した探し出す必要があるわけであり、そのような場合「私年号」などの批判は当たらないと言えるわけですが、実際にどのような例があるかその一端をここに挙げてみます。

@「金光」(元年干支は「庚寅」)年号について

福岡県の「英彦山」に伝わる「修験道資料」に伝えられている「彦山流記」
「金光七年丙申歳敏達天皇御宇也」

愛媛県の「伊予三島神社」に伝わる『伊豫三島縁起』
「金光三暦《壬辰》。扶桑州蝦蝸州流泉州高麗国軍渡。彼氏子敵亡。」(この『伊予三島縁起』には他にも多数の「逸年号」が記載されています。)

群馬県佐波郡の「角淵八幡神社」の『角淵八幡宮縁起』
「金光庚寅年社秋三五日(後略)

A「吉貴」(元年干支は「甲寅」)年号について

山口県小野田市西須恵村 「万福寺」に伝わる「子持御前縁起」
「推古天皇御宇端正元癸丑年ここなる銀鎖岩の上に鎮座し給ふ(己酉の誤りか)
足引宮は(中略)推古天皇御宇端正元年癸丑十一月十三日午の刻」

福島県福島市森合 「信夫山」に伝わる「黒沼大明神縁起」 
「崇峻天皇御時端正二庚戌年六月十五日黒沼大明神ト申(後略)

滋賀県八幡市 「雲冠寺」に伝わる箱石山雲冠寺縁起
「推古天皇六年(吉貴五年と記す)太子創建」

B「貴楽」(元年干支は「壬申」)年号について

山口県山口市大内御堀 南明山乗福寺の寺社證文
「善光寺如来渡給(中略)欽明天王御治天貴楽元年奉渡者也 」

福島県河沼郡会津坂下町 恵隆寺 會津舊事雑考
「邑山上且有塚昔經納經蔵云或為喜楽元年欽明天皇十三年壬申」

福岡県三井郡東鯵坂両村 社方開基文書
「欽明天王之御宇貴楽弐年若宮大菩薩建立」

 以上は一部ですが、いずれも「地理的環境」が遠距離であって、且つ「相互」の資料に関連がないと考えられるものです。
 さらに一部にいわれるように「僧侶」の作というには「神社」の縁起譚などに現れる例が多く(以前に「神仏混交」であったとしても)、根拠として成立していないものと思われます。
 
 このように多岐に亘る使用例が他にも確認されており、「私年号」「偽年号」などという言い方には「根拠」がないことは明白となっています。


(この項の作成日 2011/07/21、最終更新 2014/08/14)