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「弥生時代」について
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魏志倭人伝について
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「邪馬台国」(邪馬壹国)や「卑弥呼」などが登場する『魏志倭人伝』という書物は、「後漢」が滅びた後、中国を三分した「魏」「呉」「蜀」という、いわゆる「三国時代」を統一した「魏」の後を受けた「晋(西晋)」の史官「陳寿」が、「晋」の正統性を確立するために書いた『三國志』の一部であり、その中の「東夷」(東方の「文明化」されていない種族という意味)の事を記した部分に『倭人伝』があり、その中に「倭」「邪馬台国」「卑弥呼」などの古代日本にとって重要な情報が多量に含まれている書物です。
『魏志倭人伝』とは
コラム「遠山の金さん」
『倭人伝』の行路記事と「短里」
『倭人伝』の行路記事と「短里」(二)
「邪馬壹国」の音価(発音)について
「二倍年暦」について(1) その起源
「二倍年暦」について(2) 『論語』において
「二倍年暦」について(3) 寿考とは
「女王国」の「領域」
「其北岸」と「南與接倭」について
「卑弥呼」の統治範囲について
「東南陸行五百里至伊都国」の謎
「伊都国」の位置と「末廬国」の港
「一大率」の拠点と伊都国
「筑紫大津城」と「一大率」
「邪馬壹国」の位置
「甕棺」と倭王権
「投馬国」に関すること
「投馬国」に関すること(二)
『筑後国正税帳』と「水行二十日」
「澣海」について
「生口」について
「持衰」と「瀚海」について
『魏志韓伝』の「弁辰狗邪国」について
「到」と「至」について
「卑弥呼」の「鬼道」と「銅鏡」
「卑弥呼」の身体能力
後漢滅亡と邪馬壹国
「大疫」と「倭王権」
「卑弥呼」の年齢
狗奴国と卑弥呼
邪馬壹国の組織
「郡県制」と「封建制」
「春耕秋収」と「出挙」(貸稲)
「戸」と「家」
「邸閣」について
倭国の「租賦」について
「伊都国」「奴国」の官職名
「伊都国」と「邪馬壹国」の関係
「奴国」と「邪馬壹国」
「銅鏡百枚」と「三角縁神獣鏡」について
「張政」の来倭と帰国
「卑弥呼」の死去と葬儀
「已」と「以」の例
「卑弥呼」の墓と「薄葬令」
「男弟」と「難升米」
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