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「持統朝廷」と「改新の詔」
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「大伴部博麻」について
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「大伴部博麻」の帰国後「持統天皇」から出されたという「詔」によれば、彼は「土師連富杼等」の帰国のために「身を売った」とされています。
そもそも彼を含む四名は一体どこで「捕虜」となっていたのでしょうか。更に帰国まで「三十年」もかかった理由は何なのでしょうか。これに関連して色々と考察してみます。
唐で捕虜になっていた可能性
本朝と天朝(一)
本朝と天朝(二)
「旧百済」国内で捕虜になっていた可能性
三十年に亘る補囚の理由
氷連老人と博麻達が同席していた理由
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