『日本書紀』(以下『書紀』と記す)の神話の中に「天鈿女」と「猿田彦」の話が出てきます。天下りの前に地上界を調べに来た「天鈿女」の前に「猿田彦」が立ちふさがり問答する場面があり、この場面は従来解釈が難解な場面でした。それは話の展開と関係ない描写があるように思えるからです。たとえば、「天鈿女が胸をあらわにむき出して、腰紐を臍の下まで押し下げてあざ笑った。」というような描写です。
「…已而且降之間。先驅者還白。有一神。居『天八達之衢。其鼻長七咫。背長七尺餘。當言七尋。且口尻明耀。眠如八咫鏡而?然似赤酸醤也。』即遣從神往問。時有八十萬神。皆不得目勝相問。故特勅天鈿女曰。汝是目勝於人者。宜往問之。『天鈿女乃露其胸乳。抑裳帶於臍下。而笑?向立。』…」(『日本書紀巻第二神代下第九段の一書」』より)
ここには「猿田彦」の顔などの描写が異常に詳しく出ており、唐突な印象を受けます。この部分やその後に続く「天八達之衢」とか「天鈿女乃露其胸乳。抑裳帶於臍下。而笑?向立。」というような妙に具体的な描写が何を意味するものか今までは不明でした。それらは話の進行に全く関係がないと思われるからです。しかし、長崎大学の勝俣隆氏の研究(※)ではこれらの部分については「天空の星座をなぞったもの」という解釈が行われており、有力と思われます。
それによれば「猿田彦」の描写の部分は「牡牛座」の「ヒアデス星団」付近のことであり、「其鼻長七咫。背長七尺餘。當言七尋。且口尻明耀。眠如八咫鏡而?然似赤酸醤也。」という部分の中で「鼻」と称されているのが、「V字型」をした「ヒアデス星団」の牡牛の両目とおぼしき星の部分から下方に続く星の列を結んだものであり、「口尻明耀」とされ「似赤酸醤」と書かれているのが「牡牛座」α星の「アルデバラン」のことと考えられるようです。「アルデバラン」は「赤色巨星」であり、その赤い色は「似赤酸醤」とされる色合いとも矛盾がなく、また冬の星座を代表するともいえる星であり、かなり目立ちますから、「神話」に取り入れられたとして不自然ではありません。この「ヒアデス星団」は大きく広がった明るい「散開星団」であり、「牡牛座」において「牡牛」の「顔」の部分を形成しています。肉眼でもその中に多数の星が数えられるほどであり、太古の人々にもなじみの星達であったと考えられます。
またこの部分は別の一書の記述として「天の八街にいて、上は高天原を『光らし』、下は葦原中国を『光らす』神是にあり」とされており、この『光らす』という表現は「星」や「月」の場合の形容に該当すると推定できます。
「日神」(つまり「太陽」)の場合は「照らす」が使用されており、「光(て)らす」は『書紀』の中では「太陽」の明るさを形容するのには使用されないことから、「月」ないしは「星」の明るさ程度のものに使用されるものとみられます。ただし「かなり明るい」ということもまた確かであり、等級でいうと1等星あるいはそれ以上であることが推察されます。「アルデバラン」は実視等級「0.86等」とされ、条件を満たしてるといえます。
さらに、勝俣氏も指摘されていますが(※)、この「猿田彦」が「牡牛座」であるということからの連想として「天鈿女」の部分は「オリオン座」のことではないかと考えられます。上に見るように「天鈿女」と「猿田彦」は「向かい合って」立っていることとなりますが、実際に「オリオン座」と「牡牛座」も向かい合っている形になっています。「ギリシャ神話」でも「突進する雄牛」とそれを迎え撃つ「オリオン」という見立てになっており、この星々の配列から「互いに向かい合う」という姿を想像するのはそれほど難しくありません。また有名な「三つ星」はいかにも「ベルト」や「帯」に見立てられやすく、その真ん中直下付近にある「オリオン大星雲」(M42)が「臍の下」まで押し下げられた「腰紐」という形容となったしてこれも自然です。(「オリオン大星雲」はかなり空の明るいところでも容易に認められるものです。)
また「天鈿女」は「汝是目勝於人者」と「瓊瓊杵」から言われており、それは「天鈿女」の「目」が「猿田彦」の「赤酸醤(ほうずき)」のように輝く「光」(星)に負けない光と色であることを意味すると思われ、これは「オリオン座」のα星「ベテルギウス」を指すものとみて間違いないでしょう。「ベテルギウス」も「アルデバラン」も共に「赤色超巨星」に分類される星ですが、「ベテルギウス」の方が「アルデバラン」よりも明るく、それが「瓊瓊杵の言葉」に反映していると考えられます。
このように配列に特徴のある星達(星座)があることにインスパイアされて「天上」から下りてくる「天鈿女」とそれを迎える「猿田彦」というストーリーが組み立てられたと考えられるわけです。
上のように解析すると、他の登場人物も天空の星との対応があると考えるのが自然です。勝俣氏も神話世界の登場人物の多くが天上の星と対応しているとされていますが、「瓊瓊杵尊」に対応する星については触れられていません。(何か特徴が形容されているとは考えられていないからでしょう)しかし「瓊瓊杵尊」はこの「天孫降臨神話」の中心人物であり、彼を抜きにしてこの神話は語れないわけですから、彼の表象としての「星」も存在して当然と思われるわけです。
ところで、「天孫降臨神話」においても「力」や「威厳」あるいは「崇高」などの畏敬すべき対象として「赤い星」が考えられていたことが窺えます。上にみたように「猿田彦」とみられる「アルデバラン」も、「天鈿女」と思われる「ベテルギウス」も「赤く明るい星」です。このことは彼らより上位の存在である「瓊瓊杵」もまた「赤い星」であるという可能性が高いと言えるでしょう。しかし神話の中では「猿田彦」や「天鈿女」のように明確にその天体と結びつける特徴のようなものが書かれておらず、「瓊瓊杵」がどの星にあたるのかが不明となっていたわけです。しかし、実際には「特徴」は書かれていると思われるわけです。それは「火瓊瓊杵尊」という名前です。
「火」は色として「赤」ですし、「瓊瓊杵」の「瓊 」は「説文解字」によれば「赤玉」とされますから、これも「赤」です。つまり「燃えるような赤」という意義の名前を持っているわけです。(『古事記』に出てくる「番能邇邇藝命」という名前(表記)の方は「万葉仮名」であると思われ、その特徴としてほぼ「表音文字」として構成されていると思われますから、「瓊瓊杵」のように「表意文字」つまり特別な意味があるものとは見えません。)しかも「皇孫」という至上の存在であるわけですから、それに表象される星もまた至上というべきものでなければなりません。つまり、天球上において「アルデバラン」や「ベテルギウス」の至近でそれらよりも明るく赤く輝く星を探すこととなるわけですが、遺憾ながらそのような星は存在していません。
そもそも人間が裸眼で見る事のできる限界である6等星より明るい星は全天で六千個あるとされますが、その大半は暗い星であり(暗い星ほど数が多い)、そのような星は「白く」見えます。なぜなら人間の視細胞のうち色を感じる細胞は光を感ずる能力が低いためであり、明るい星だけが色がわかることとなるからです。つまり「赤い星」というのは必然的にかなり明るい星であり、さらに数が少ないというわけですから、希有な存在であり、それを見る人にとって特別な意味を持つことが多分に推測できます。それは「力」や「威厳」でもあると同時に、時には「邪悪」や「不吉」の象徴ともなったりもするでしょう。典型的な例が「火星」です。その赤茶けた砂漠に由来する色を持つこの惑星は、その不自然な動きと併せて(天球上を順行したり逆行したりします)「軍神(戦神)」ともされ、また「不吉の象徴」ともされました。(ギリシャ神話でもローマ神話でも軍神は火星とされました)しかし、「もっと明るくて赤い星」が存在していたらその役割は火星ではなく「その星」が担っていたことでしょう。
ところで、「瓊瓊杵尊」は「天鈿女」に案内されて来るわけであり、それに立ちふさがるように「猿田彦」がいるとされていますから、「瓊瓊杵」は「猿田彦」から見て「天鈿女」の背後にいると考えられます。星座で言うと「牡牛座」から見て「オリオン」の向こう側にいるはずであり、「火(ほ)」の「瓊瓊杵の尊」という名にふさわしく明るく輝く星であると考えると、該当するのは「おおいぬ座」のα星「シリウス」である可能性が高いでしょう。
「全天第一」の「輝星」である「シリウス」はギリシャ語で「焼き焦がす」という意味であり、また「中国」では「天狼星」という名がつけられていますが、周囲を圧するように「青白く」輝くその姿は神々しいほどです。「おおいぬ座」の「おおいぬ」は「オリオン」が引き連れていたお供の犬(「猟犬」)であるとされていますから、「オリオン座」のすぐ背後に位置しており、位置関係的にも不自然はありません。
この星が「瓊瓊杵尊」として「神格化」されていたとしても全く不思議はないと考えられます。しかし、シリウスは「青白く」輝く星であり、それに対して「火瓊瓊杵尊」という字面は「燃えるような赤色の宝石」という意味と見られるわけですから、そこには大きな食い違いがあるわけです。しかし「神話」と「天球」の星との関係の解析からは「シリウス」が最も「火瓊瓊杵尊」に該当する可能性が非常に高く、そうであれば「青白く」輝く星に対して「赤」を意味する美称がつけられたこととなってしまいます。その可能性については各種すでに議論がありますが、可能性としてこの神話が形成されたころには「シリウス」は「赤かった」ということととみることもできるでしょう。そして実際に古代において「シリウス」が「赤かった」という記録が複数存在しているのです。
(※)「日本神話の星」『星の手帖』四十四号(一九八九年年五月)及び、勝俣隆「星座で読み解く日本神話」大修館書店(二〇〇〇年六月)
(この項の作成日 2016/03/13、最終更新 2016/12/17)