近年、遺跡や文献などによる古代研究において、従来の観念、常識などと激しく衝突するような、新しい成果が次々と発見、発表され、学会のみならず、一般の人々の間にも、高い関心を呼んでいる状況であり、それらの成果に基づいて、従来の知識に大きく修正を促すことを目的として以下に簡単にまとめてみました。
従来の説は、天皇家一元論から脱却しておらず、真に自由な科学的根拠に乏しい場合が多いと考えられます。いわゆる「後付け」の論理がまかり通っている現状です。
しかし、実際の考古学的証拠や史書の記述を先入観なしに眺めると、また違った結論も出てくるものであり、このような中に真実が横たわっている可能性が強いものと考えられるのです。それらのいくつかについてここに記して古代の日本の実像を浮かび上がらせようと思います。
ここでは「弥生時代」から「倭の五王」を経て「阿毎多利思北孤」、そして後の「文武天皇」までのおよそ四〇〇年間の倭国の動向について、私が普段から考えていたことを中心に、(原則として)「時系列」として年次の推移に合致するように並べてあります。
この時代は一貫して「九州」に都(本拠)があった「九州倭国王朝」の時代であったのです。以下にそれを明らかにしていきたいと思います。
ここにまとめられたものの多くは古田武彦氏などに代表される「九州王朝説」に則っていますが、基本的には「私」James William Mccallister,Jr.こと阿部周一の好奇心と理性の産物であり、所々で述べられている推論や結論らしきものが有する「責任」は「私」にあります。
またそれらはあくまでも「個人的」なものであり、「古田史学の会」その他公的団体の見解を代表するものではないことも併せて表明させていただきます。
なお、多くの方々の書籍、論文、レポート、講演等を参考とさせていただきました。各種論文がネットで閲覧可能となった状況が在野の人間である私などにも研究のチャンスが生まれたわけであり、そのような場を提供するのに尽力された方々に深く感謝申し上げます。
他にも名前を挙げて引用させていただいたものもあります。それらの方々に対し、深く謝意を表するものです。
また古田武彦氏におかれましては二〇一二年十月十四日ご逝去されました。ここにその業績を偲び冥福を祈ると共に、現在の自分を今の場所に至らしめていただいた学恩に深く感謝する次第です。
「2019年12月30日改定」