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「七弦琴」と「五弦琴」


 ところで、『隋書俀国伝』では「楽」として「倭国」に存在するものとして「五弦琴」と書かれています。

(再掲)
「…樂有五弦琴笛…」

 ここに書かれた「五弦琴」が「五弦」と「琴」なのか「五弦琴」という琴なのかについては意見が分かれています。これを「五弦」と「琴」というように区切って理解する場合は「五弦」とは「琵琶」を意味すると考えられることとなりますが、その場合「琴」の弦数については言及していないこととなりますから、「隋」と同じで「七弦」であったと考えられる事となります。しかし、「倭国内」の遺跡からは「七弦」の琴が確認されず、当時もその前代も倭国内には「七弦琴」は存在していなかったと考えるべきこととなり、そうであれば『隋書』の記述とは食い違います。そのため、この「五弦」を「五弦琴」とつなげて理解して「五弦の琴」という意味と理解することもまた可能かと思われます。
 そのような理解に正当性があると思えるのは、同じ『隋書』内の「南蛮」の国々に対して「五絃」と「琵琶」が書き分けられている例があるからです。

「…樂有琴笛琵琶五絃,。??鼓以警?,吹蠡以即戎。…」(隋書/列傳第四十七/南蠻/林邑)
「…有大小鼓琵琶五絃箜篌笛。…」(隋書/列傳第四十八/西域/康國)

 これらの例を見ると、「琴」とは別に「琵琶」と「五絃」が存在していることが明瞭に書かれており、「五絃」という表現が「琵琶」を示すものではないことは明らかと思われます。つまり、「倭国」を含むこれらの国々には「五絃」と称される「琵琶」とも「琴」(七弦琴)とも異なる楽器が存在していたことを示すものであり、最も考えられるのは古代に「帝舜」が奏していたという「五絃琴」ではなかったかというものです。

『隋書』の中にもありますが、元々「琴」は「五弦」であったものであり、後に(周の文王の時とされる)に二弦加えられ、七弦となったとされています。 『礼記』などにも「帝舜」(つまり周代以前)と「五弦琴」についての逸話が書かれています。

「…昔者,舜作五弦之琴以歌南風,?始制樂以賞諸侯。故天子之為樂也,以賞諸侯之有德者也。…」『礼記』「楽記」

 このエピソードは「隋・唐代」においても著名であり、このことから「五弦」といえば「帝舜の五弦琴」というように連想されていたものと思われます。
 またこの「五弦琴」については「帝舜」の歌が「南風」を歌ったものと言う事もあり、特に中国南方地域に強く遺存していたようです。「北宋時代」に編纂された「太平御覧」の「州郡部」に引用されている「湘中記」の中でも「江南道潭州」(現在の長沙市付近か)では「帝舜」の「遺風」があるとされ、「古老は五弦琴を弾ずる」とされています。

「《湘中記》曰:其地有舜之遺風,人多純樸,今故老猶彈五弦琴,好爲《漁父吟》。」(「太平御覧」州郡部十七「江南道下」「潭州」)

 このように「南方地域」で「五弦琴」が見られるわけですが、それは『隋書』の「林邑伝」において、習俗として「文身断髪」とされるなどその記述が南方的であることと、そこに「五弦」と書かれている事とがつながっているように思われ、この「五弦」が「帝舜」の「南風」に影響された「五弦琴」であることを推察させるものです。
 また、「林邑伝」に描かれた習俗は「倭国伝」にも近似しており、そのことは「倭国伝」の「五弦」もまた「帝舜」の「五弦琴」と関係があると考える余地がありそうです。
 他の史料においても「五弦」はほぼ全て「五弦琴」を指し、それに対し「五弦」の「琵琶」の場合は「五弦琵琶」と書かれる場合が多いという実態が確認されます。

 また、この『倭人伝』(及び「高麗伝」)において書かれている「琴」について、これが「七弦琴」を指すものとすると、「林邑伝」などで「楽」の例を挙げる場合の先頭近くに書かれる場合が多いことと食い違うともいえるでしょう。
 『風俗通義』(※)では「雅琴者楽之統也、八音與竝行、然君子常御所者、琴最親密、身於離不。」とされ、「七弦琴」としての「琴」は諸楽器の「統」であり、合奏の際にはその中心となる楽器とされています。さらに常に君主の傍らにあるべき楽器ともされていたものです。
 つまり「楽器類」を列挙する場合は暗黙のルールとして「琴」(七弦琴)から始められるものと思われ、「琴」(七弦琴)が存在している場合には当然「先頭近く」に書かれるものであり、それに対し「五弦琴」は逆に南方的であることから考えても「隋」など「北朝」から見ると「マイナー」な存在であり、「琴」が存在しているならそれに先だって書かれるというようなことはなかったのではないかと思われ、基本的には先頭には来ないと考えるべきでしょう。そう考えれば「五弦琴」という表記は「五弦」と「琴」ではなく、いわゆる「五弦琴」を示すものと思われることとなるでしょう。

 また「林邑伝」で「楽器」を列挙した後に「頗與中國同」と書かれているのは、その先頭に「琴」が置かれていることと関係しているでしょう。つまりこの「琴」は「七弦琴」であり、それも含めて「楽器」は(「五弦」の存在を除けば)「隋」によく似た構成であると言う事ではないでしょうか。そうであれば「倭国」や「高麗」が「五弦」「琴」と始まってなおかつ「林邑伝」のように「中国」(隋)と同じとは書かれていない事もまた重要であると思われ、ここには「七弦琴」が存在していないと考えられることとなり、「琴」単独で書かれているとはいえなくなると思われるのです。


(この項の作成日 2014/02/28、最終更新 2016/09/03)