南朝に遣使していた「倭の五王」の正体については従来から議論がありました。
彼ら「讃」「珍」「斉」「興」「武」の五王については従来「雄略天皇」、「仁徳天皇」など『書紀』に記載されている各天皇と比定するのが、いわゆる「定説」ですが、これらが根拠不十分なのは言うまでもありません。
彼らは中国南朝との国書のやり取りの年代から推察して、近畿天皇家に合致する天皇がいないことは明らかです。
従来の説は全て「倭の五王」の最後、「五番目」に登場する「武」が「雄略天皇」である、という点で一致しているのです。「武」に当る「雄略」は第二十一代の天皇ですから、その前代までの天皇に残りの王が該当することになります。対応は以下のようになるでしょう。
讃 → (第十七代)履中
珍 → (第十八代)反正
済 → (第十九代)允恭
興 → (第二十代)安康
武 → (第二十一代)雄略
この定式化の問題の一つは在位年数が違うことです。『書紀』によれば、「履中」が六年となっています。しかし、彼がそうであると言われる「讃」は、「四一三年」と「四二一年」に朝貢していますから、「少なくとも」八年在位していることになります。また、「反正」は『書紀』によると在位五年ですが、「讃」の次の「珍」は、「四二五年」と「四三八年」に朝貢していますから、これもまた「少なくとも」十三年在位していることになり、全く整合していません。
また「武」も「四七八」、「四七九」、「五〇二年」と「授号」しており、「少なくとも」二十四年間在位しているように見えます。しかし、「雄略」の在位年数は「四五六〜四七九年」の二十三年間であり、年数は近似しているものの、その期間が全く異なっています。「武」の前の「興」が将軍号を授与されたのが、「四六一年」であり、これでは『書紀』による「雄略」の在位期間と重なってしまっていますし、「五〇二年」の授号時点ではすでに「雄略」は死去しています。
また倭王「武」の上表文の中に書かれていることによれば、「武」の父である「済」と兄である「興」の両者が同時に(あるいは相次いで)不測の事態により死亡したため、「武」がやむを得ず、後を継いだように書かれており 、このような記録は『古事記』や『書紀』に全く見えていません。
また名前に関する従来の解釈はたとえば「讃」は「去来穂別」(履中)の第二音「サ」を「讃」と表記した、とか、「大鵜鶴」(仁徳)の第三、四音の「サ」(または「ササ」)を「讃」と表記したなどと説明しようとします。あるいは「珍」などは「瑞歯別」(反正)の第一字「瑞」を中国側が「間違えて」「珍」と書いた、などという「論証」とも言えないものが続きます。このように「各天皇」の名前の内の「一字」を抜き取ったり、名前の一部の字に似た発音の「別」の文字を表記しているとか、余りにも方法論が恣意的であり、一定していません。このようなことを行えばたいていの人名は似てきてしまいます。説を立てる人の「好み」の人物に比定することが可能となってしまい、方法として合理的でないのは明らかです。このようなものが「学問」としてまかり通ること自体が不思議です。
さらに言えば「国書」に自署名がないことはありえず、ここで錯誤が発生する可能性ははなはだ少ないと言えます。従来の「人名比定」の方法論はこれら倭王の名称は「遣使」された人物が口頭で答えたものを中国側で書き留めたものとして考えているわけですが、それは「上表文」の存在を忘れています。倭国王は当然その「上表文」に署名しているわけですから、史書に登場する「讃」以下の名称は、それを反映したものと考えるのが正しいと思われます。つまりこの「一字名称」は「中国」の例に倣ったものであり、それが「中国」の標準であることに追随したものと思われます。
倭王「武」が南朝の皇帝に差し出した「上表文」によれば、国内国外併せて二百国以上を服属させています。これが「讃」からの累計数と考えると、事実ならば「年間二〜三国」程度を服属させてきた計算になりますが、たぶんそれでは常に「都」にはいないと思われる状態です。これは同じく上表文中にある「不遑寧處」つまり、休息するところにいる時間もない、という言葉を裏書きしているようです。しかし、このような「征服戦」の記録や痕跡が『書紀』には「明確」には見えていません。
これについては「国譲り神話」がその一部を表現したものと考えられますが、あくまで「神話」としての表現にとどまっており、「征服」の過程がリアルに示されておらず、このことは「各国」を「平定」していく過程についての情報が少ないことを示しているとも考えられ、「倭の五王」に関することが「記紀」編纂時の朝廷である「八世紀」日本国王朝の関係者に「疎遠」である証拠と言えるようです。
そもそも、このように南朝に遣使した記録も将軍号授与の記録なども「一切」『書紀』に現れない、ということが雄弁に「倭の五王」と「近畿王権」は関係のない存在なのだ、ということを示しています。
(この項の作成日 2011/01/03、最終更新 2011/11/08)