ホーム:「持統朝廷」以降の「倭国王権」と「新・日本国王権」:『続日本紀』と『書紀』の「記事」移動の痕跡について:『書紀』及び『続日本紀』の年次移動について:

『書紀』の天武・持統紀における「記事移動」に関して


 
 ところで、既に述べたように『文武紀』については明らかに「記事移動」の形跡が確認されていますが、それと「記事」が「接している」『持統紀』についても記事移動が疑われるのが自然です。
 少なくとも『続日本紀』と近接する年次期間においては、記事の連続性を確保する意味でも同様に移動されている可能性が高いと思われ、そうであれば「六十年程度」の年差が推定されるわけですが、ここで『書紀』の「三十四年遡上」という研究との整合をとらなければなりません。
 「正木氏」による「三十四年遡上」の範囲としては「持統紀末年」までを含んでいるとされているようですが、また「改新の詔」が「五十年」移動されているとも主張されており、この二つは「矛盾」している事となります。
 考えられるものは『持統紀』のある年次で「三十四年遡上」とそれ以外の年数の移動が(正木氏によれば五十年)切り替わっているのではないかと推察されるものです。
 それが正しいのかどうなのか、またそれがどこまでなのかと言うことを以下に推定してみたいと思います。