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コラム「むつらぼし」


 冬の星座の代表である「牡牛座」に「プレアデス星団」があります。この星団は肉眼でよく見え、各地でいろいろな命名がされています。代表は「スバル」ですが、各地で多いのは「ムツラボシ」と呼ばれるケースです。目のいい人ならばこの星団中の代表的な星が見えると思われ、それが「六個」ほど確認できる場合が多く、「ムツラボシ」と呼ばれているようです。
 ところで、この星団は西欧では「セブンシスターズ」と呼ばれていますが、名前がついているのは「九つ」あります。それは「両親」+「七人姉妹」の構成となっているためで、星図で確認すると、一番暗い星は「アステローペ」の5.77等の様です。

「プレアデス星団」の中の星を明るい順に並べると以下の通りです。

アルキオネ 2.87等
アトラス 3.63等(父)
エレクトラ 3.71等
マイア 3.88等(長女)
メローペ 4.17等
タイゲタ 4.30等
プレイオネ 5.06等(母)
ケラエノ 5.46等
アステローペ 5.77等

 日本で「ムツラボシ」という場合、見えている星の数が「6コ」あるためと考えられますから、明るい方から順に「アルキオーネ」「アトラス」「エレクトラ」「マイア」「メローペ」「タイゲタ」の6星と推定されます。しかし一番暗い「タイゲタ」で4.30等ということになっており、通常人間の目で見えると云われる6等よりも明るい他の3星が外れているようです。
 それに比べ「セブンシスターズ」という表現の場合、両親も含めると「9つ」見えていることとなり、これを「視力」の差と考えると、古代の日本人と西欧人の視力ではかなりの違いがあるように思ってしまいます。
 星の等級は5段階違うと100倍違うとされていますから、1段階は約2.5倍の違いとなります。
 これを踏まえると、もし「9つ」見えているとすると一番暗いのは「アステローペ」の5.77等となり、これは「タイゲタ」の4.30等より「1.47等」暗いこととなり、「3.87分の1」の明るさしかないこととなります。
 また、もし「セブンシスターズ」の「セブン」が見えている星の数を表しているとすると、ムツラボシに一つ(「プレイオネ」(5.06等)か「ケラエノ」(5.46等))が加わっていると思われますが、「プレイオネ」は「アトラス」に非常に接近しているため、見分けられない、という可能性もあり、そう考えると「ケラエノ」であった可能性が高くなります。この場合は「タイゲタ」に比べ「1.26等」暗く「3.19分の1」となりますし、「プレイオネ」であった場合は「0.64等」暗いことから、「1.8分の1」の暗さとなります。

 現代でも日本人の「瞳」(「瞳孔」)の大きさは「6mm」と云われているのに対して「西欧人」は「7mm」とも云われており、「集光力」と「分解能(解像力)」の差になっている様ではあります。
 ちなみに「6mm」と「7mm」の差は「集光力」で1.36倍違い、これは等級の差に直すと「0.33等級」ほどとなりますが、上で見たように「ムツラボシ」という表現では「4.30等」より暗い星は言及されていないことになるということから、もっと差があるように思えてしまいますが、これは「瞳径」の問題以外に別の問題というか事情があるものと思料されるものです。(実際には少し目のいい人であれば数十個確認できるとされます。)

 通常「ムツラボシ」と云われている場合の一番暗い星である「タイゲタ」とその次の「プレイオネ」あるいは「ケラエノ」の明るさの差はかなりあり、このことから、日本では「特に明るい」6コだけを抽出して「ムツラボシ」と呼んだ、という可能性があるでしょう。
 この「6コの星」は「2.87等」から「4.30等」までの1.43等級の中に収まり、その中でも最大の差は「アルキオネ」と「アトラス」の「0.76等」であり、それ以外は「0.1〜0.3等」程度の差になっています。このように「粒」が揃った「6コ」の星、という意味があったものと考えられ、それ以下の星が見えていなかったと云うことではないものと思われます。単に星が群れているあるいは並んでいるという以上に「明るさが揃っている」6コの星という認識であったのではないでしょうか。そのことにより「ムツラ」という表現になったものと思慮されます。

 西欧の場合は「肉眼」で見える限界近い「5.77等」の「アステローペ」まで加えていますが、それは「星の粒が揃っている」と言うこと以上に「見えている星の全て」に「物語」を見いだそうとする民族性とか思考様式の違いがあったものと考えられます。

 日本ではあくまでも「指標」であり、農作や漁労に関係している「インデックス」以上には考えない人々が多数であったものなのに比べ、「セブンシスターズ」の「神話」では、その「プレアデス」という語源にもあるように「原初的」には「航海」の指標として考えられていたものとは思いますが、その後「地上」の「王」の権威の正統性に寄与する「神話」(叙事詩)が作られ、その「神話」の完全性に寄与するものは「かすかな星」でも使うという精神ではなかったのでしょうか。
 つまり星々の一つ一つが「神話」の主人公であり、その神話(叙事詩)は「王権」に結びついていたのでしょう。

 『釈日本紀』が引用する『丹後風土記』では「昴」は「七人の童子」として書かれており、(「畢」(あめふり)(=牡牛座のヒアデス星団)は「八人の童子」とされています)一見古代の日本でも「七つ」の星を多数の星群から数えだしているようですが、この部分は中国の天文書の中に出てくるものをそのまま使用していると考えられ、日本古来のものではなさそうです。