十世紀になって「物語の租」といわれる「竹取物語」が書かれます。この話は「竹取の翁」夫婦が月から来た少女「かぐや姫」を育て、絶世の美女となった彼女が数々の結婚の申し込みを無理難題を言って断りながら、やがて月に戻ってゆくというものです。
この話の中でかぐや姫に言い寄る男たちの名前には、天武天皇から文武天皇に至る間の実在の有力者の名前が使われているのです。(たとえば「阿倍御主人」、「石上麻呂足」、「大伴御行」)
これらの人名は『続日本紀』の中にセットで出てくる箇所があることから「竹取物語」の作者はこの部分を参考にしたのではないかと考えられています。そして物語中にはこれらの人物名の他に「石作皇子」及び「車持皇子」という二人の人物が登場します。彼らは他と違って歴史上登場しない名前であり、これだけでは正体不明といえますが、問題の『続日本紀』の中のその部分では「車持皇子」の位置に対応する人名が、「藤原不比等」になっているのです。これについては彼の母が「車持女」といわれていることは前述しました。(ちなみに「石作皇子」は「丹比真人島」と推定されているようです)
ここで「不比等」について「皇子」という言葉が使用されていることに注意すべきでしょう。仮に「石作皇子」が「丹比真人島」であるなら、彼は「敏達天皇」の玄孫とされていることとは矛盾しませんが、「不比等」が「車持皇子」であるとすると、これは通常の理解では矛盾となります。つまり彼の祖をいくら辿っても天皇には行き着かないからです。
この「竹取」が書かれたころは彼らが活動した時期から約二百年ほど経過しており、当時は現在のように資料が豊富であったとは言い難く、その意味で誤解があったということもできるかもしれません。しかし、伝承というものは必ずしも資料の多寡とは関係なく「印象的な事象」に対して割と正確に情報が保存される、というものとも思われ、このような中で「不比等」に関し「皇子」である、という言い伝えが民間に根強くあったということを示すものと考えられます。
ところで「竹取物語」において「かぐや姫」は「罪」を得て地上にいわば「流された」形になっています。これは実際に「罪」を犯したかあるいは誰かの「罪」が係累であった「かぐや姫」に及び「流罪」となったものと推定できます。
そう考えると「竹取の翁」夫婦は彼女の目付役であったといえるでしょう。遠島や流罪の場合は現地に見張り役が付くのが通例です。それはたいていの場合現地の軍事担当者あるいはその補佐クラスが任命されますから、「竹取の翁」に「造」つまりその地域の「長官」らしきものが名前となっていることはその推測と整合します。彼の場合(諸説はあるものの)「讃岐の造」と表記されていますから、四国への遠流(おんる)つまり「遠島」とされたようです。
『延喜式』では四国の中では「土佐」は「遠流」ですが、「伊予」であれば「中流」です。
安房。一千一百九十里。常陸。一千五百七十五里。佐渡。一千三百廿五里。隠岐。九百一十里。土佐等国一千二百廿五里。為遠流。
信濃。五百六十里。伊予等国五百六十里。為中流。
越前。三百一十五里。安芸等国四百九十里。為近流。
「讃岐」の国造は従来より「伊予」地域を含んで統括的に統治していますから、ここでも「伊予」への「遠島」とみれば「中流」であったと思われ、彼女の父や兄が「謀反」等の罪を犯し、その兄弟に対し「中流」が適用されたと思われ、妻妾がそれに伴ったものと思われます。
この場合、彼女が婚姻を拒否するのは自分(の近縁者)が流罪の身であると同時に高貴の身でもあるため、下々とは婚姻できないことを示すともいえるでしょう。
ただしかなりの重罪であっても「流罪」の場合「律令」では「千里の外に三年間」程度です。ただし強制労働がこれらに加わる場合があり、その場合はもっと長くなる場合があります。いずれにしても「王権」の代替わりの際には「恩赦」により解放されたり、罪一等が減じられたりすることが通例のようです。
また「月」から使者が来る、とされていますが、これは当然「王権」からの使者を意味するものであり、「恩赦」を伝えるものであったと思われます。このことからこの時点で「王権」の内部で交代があったらしいことが推測され、また彼女がかなり高位の人物であったことも推察できます。それは「求婚」する人々が高い地位にある貴族などであることからも分かります。
この場合「月」からの使者とされているのは、「月」は『隋書』にいう「天を兄とし弟を日とする」した「天」つまり「夜」であり「月」である「阿毎多利思北孤」の表象であると思われます。「天を兄とし日を弟とする」という言葉は「天」が「夜明け前」の表象ですから「夜」をイメージさせるものであり、「夜」の最大強者は「月」であると思われるからです。
「日」つまり「太陽」をシンボルとする人々は一般に「陸」の民であり、また「農事」に関係する民です。それに対し「月」を表象とする人々は「海」の民であり、「漁業」に関する人達です。これらの人々は言い換えると「水軍」ともいえ、この『隋書俀国伝』時点における「阿毎多利思北孤」の主要な軍事勢力が「水軍」を主体とするものであったことが窺えるものです。それは「月」からの使者が「船」に乗ってやってきているという表現からも窺えるものであり、この「月」からの使者に対して「天皇」の軍隊も適わないとされているようですが、「月」からの勢力の方が強力であることを示すと共に、権威の強さが全く異なることをも示すものです。
また「かぐや姫」に対して求婚者が現れ、彼等は「かぐや姫」の示した条件に従って「遠方」に貴重なものを取りに行くこととなるわけですが、実際には「明石」までしか行っていません。それはそこが「近畿王権」の勢力範囲の西の境界であることを意味していると見られます。(「筑紫」へ行くと称して難波津から出発しており、また戻ってきています)