ホーム:「弥生時代」について:弥生時代の始まりについて:

「天鈿女」と「西王母」


 ところで前述した勝俣氏の議論の中では「天鈿女」について「オリオン座」とされているわけですが、その「天鈿女」の原型は「西王母」であろうとされています。
 「西王母」とは古代中国で崇拝されていた「女神」であり、西の果て崑崙山に住むとされていました。そして彼女についての描写を見てみると「…豹尾・虎歯にして善く嘯く。蓬髪にして勝を載する。…」とあり(※)、「勝」つまり髪飾りをしているという描写は「天鈿女」という表現によく重なるものと思われるわけです。
 「記紀神話」における「天宇受売尊」という人物の名称における「宇受」とは「頭」のことであり、そこには「髪飾り」をしていたという意味が隠されていると思われます。また「天鈿女」とする表記もありますが、この「鈿」は「金属製」の「かんざし」のことであり、まさに髪飾りを意味するものです。

 神話世界では「天鈿女尊」(「天宇受売尊」)は「オリオン(座)」の表象とされているようですが、この「オリオン」は古代中国の「西王母」の投影とする見方もあり、そうであれば「西王母」は上のように「華勝」つまりきれいな花飾りを頭に付けていたとする史料もあるところから、まさに「天鈿女尊」そのものといえます。つまり「日本神話」の天孫降臨伝説は「西王母」信仰の元に形成されたと見られるわけであり、その文化の発祥から中国文明の強い影響の元に形成されたと見られるわけですが、それは「弥生時代」の始まりが「中国文明」の元の人の移動にともなうものであったと推定される事と整合的です。

 この「西王母」という存在は古代エジプト神話における「イシス」神が影響を与えているという考え方もあります。「イシス」神とは「紀元前一〇〇〇年」以前に起きた信仰であり、ナイルに豊饒をもたらすとされ、背に翼を持っていることでも知られています。(「西王母」も「有鳥焉、其状如[羽/隹]而赤」とされており共通しています)、もしそれが正しいなら「瓊瓊杵尊」のように「天鈿女」を使役できる人物(神)は誰かということとなりますが、それに該当するのは「兄」であり「夫」である「オシリス神」しかいないと思われます。いくつか説がありますが、この「オシリス」神が当初「シリウス」に投影されていたというものもあるようです。そうであればその意味からも「瓊瓊杵尊」が「シリウス」に該当するということは言えるのではないでしょうか。つまり「シリウス」「ベテルギウス」「アルデバラン」というセットでバビロンやエジプトの影響を「西王母」信仰が受けたたものであり、さらにそれが「倭国」に「瓊瓊杵尊」の天孫降臨伝説という形で伝わったと見る事ができると考えられるのです。(「西王母」と対で語られる「東王父」が後代の追補的存在と考えられているのもそれを間接的に証しています)

 この時代に(中緯度地域では)気候寒冷化が始まり、温暖な気候と幸を求めて人々が長距離を移動せざるを得なくなったものですが、その主役となったのが「海人族」ではなかったでしょうか。
 大陸からや半島などからあるいは列島内においても長距離移動としては「船」が重要視されたものであり、そのため「海人」が「倭人世界」で主導権をとることとなったものと思われるわけです。そもそもそれ以前の「縄文時代」から「周」との関係などからみて「出雲」地域に政治的中心があったと見られますが、それもやはり「海人族」としての特性からであったと思われ、その関連もあり当初は「出雲」に新しい時代の権力中心が形成されたものと見られますが、その後強大化した「北部九州」勢力と「出雲」王権の出先としての「伊都国」を通じた関係を保っていたものの、結局「列島」の覇権を取って代わられる事態となり、「奴国」の台頭として現れたと思われるわけです。しかし、その後これら「奴国」あるいは「伊都国」は「邪馬壹国」という内陸型都市国家の形成とともに衰亡し、非主流となっていったわけですが、それはこの「神話」が「一書」としての位置しか与えられていないことからも推察できるものです。


(※)「…又西三百五十里、曰玉山、是西王母所居也。西王母其状如人、豹尾虎齒而善嘯、蓬髮戴勝(註)、是司天之[厂<萬]及五殘。有獸焉、其状如犬而豹文、其角如牛、其名曰狡、其音如吠犬、見則其國大穰。有鳥焉、其状如[羽/隹]而赤、名曰[月生]遇、是食魚、其音如録、見則其國大水。
(註) 蓬頭亂髮。勝、玉勝也。…」(『山海経』より)


(この項の作成日 2016/06/14、最終更新 2019/01/12)