すでに述べたように『記紀神話』の一部には明らかに天界の星座などの描写が含まれており、そこからの帰結として「シリウス」が「火瓊瓊杵尊」とされているらしいことが推察されました。そして「火」「瓊瓊杵」という語義からはこの名称が特に「赤色」を強調したものであり、それは「シリウス」の以前の色と関連していると考えられるわけですが、その点についてはギリシャやローマあるいはエジプトなど紀元前からの記録に「シリウス」について「赤い星である」という記事が多く見られることとつながるものであり、また更にその当時「シリウス」が(多分その「伴星」が)増光していた可能性を強く示唆するものとなりました。つまり「シリウス」は「昼間も見えていた」という可能性が考えられ、そう考えると、「太陽」と「シリウス」が並んで輝いていた時代があったこととなります。
これらの記事が正しいならば地球上のどこでも確認できたはずであり(それが列島では「瓊瓊杵尊」の神話となったと見るわけですが)中国においても同様に「シリウス」が「赤く」、「昼間も見えた」という事象が(たとえば伝承のような形として)残っていなければなりませんが、しかし「司馬遷」の『史記』を見ると「白い」という表現がされているものがあり、食い違っています。ただし、「色を変える」というように受け取ることのできる記事もあるなど不確定な部分も見られます。(以下の記事)
「參為白虎。…其東有大星曰狼。狼角變色,多盜賊。…」
「太白 白比狼;赤比心;黄比參左肩;蒼比參右肩;K比奎大星。」(『史記/卷二十七 天官書第五』より)
これらによれば「太白」つまり「金星」自体色を変えることがあるとされ、そのうち「白」い場合は「狼」(シリウスを指す)と同じような「白さ」であるというわけです。
「金星」は地平線の近くに出ることが多く(内惑星のため太陽からの離角を大きくはとれない)、上層の大気の様相を反映して色が赤くなるようなことがあります。望遠鏡で見ても「プリズム」で見たように七色に見えることがよくあります。
ところで上の「太白」の色に関する記事の中に「黄」に対するものとして「參左肩」というものがあります。この「参」とは「オリオン座」を示すものですが、上の記事では「白虎」とされており、その左肩というのは「γ星」(ベラトリックス)のことでしょう。これが「黄」とされています。また「赤」の代表は「心」とされますが、「心」とは「さそり座」を指すもののようですから、「アンタレス」を意味すると思われます。ところが、「蒼」つまり「青」の代表として「參右肩」が出てきますが、これを「オリオン座」のα星「ベテルギウス」であるとすると、これは明らかな「赤」ですから、「蒼」という色とは合いません。最も「蒼」にふさわしいのは「β星」である「リゲル」ですが、これは一般には「左足」とされます。これは明るさもベテルギウスと変わらないほどであり、また「青色巨星」とされていますから、これであれば「蒼」という色に対応するものとして不審はないのですが、実際には「左肩」とされています。たとえばこれが「右」「左」が逆であったとしても「ベテルギウス」に対して「黄」という表現がされたこととなってしまいます。ただし、現時点では「白虎」の姿勢と星の配列がどう対応しているかが不明のため『史記』の記述を正確には判断できないわけですが、「ベテルギウス」は「赤色超巨星」に分類され、「太陽系」でいうと「木星軌道」を超える程のサイズまで膨張していると考えられており、超新星爆発が間近いとされますが、このような星が2〜3000年前まで「黄色」であったとは考えにくいものです。
「ベテルギウス」のような状態になるまでには「赤色超巨星」の期間がかなり長く続いたあげくのことと思われますから、2〜3000年ではそれほど進化しないものと思われるのです。しかし『史記』において「赤」の代表を「アンタレス」に譲っている事態は「ベテルギウス」の赤みがそれほど強くなかったということもいえるのかも知れません。消極的ですが、このことは「白」という色とされている「狼」(シリウス)もそれ以前は違う色であった可能性も考えられることとなるでしょう。
また「狼」とされる「シリウス」も「變色」つまり「色」を変えることがあり、そのような場合は不吉なことがある(ここでは盗賊が増える)とされているわけです。これについては「金星」と同様「大気」の影響ということももちろん考えられますが、当時は何か不安定な状態で「色」を変えていたのかもしれません。しかし「シリウス」は「主系列」に部類され、変光とか色変化というようなことがあったとは想像しにくいのは事実です。
しかしここで注目されるのは「朱鳥」という存在です。
この「朱鳥」とは、一般に「四神」つまり「青龍」「玄武」「白虎」とならぶ「獣神」であり、「天帝」の周囲を固めるものとされています。その起源は「殷代」にまで遡上するとされ、その時点では「鷲」の類であったとされますが(※)、その後「鳳凰」やその意義を持った「雀」などの「鳥」とされるようになりました。
「臣某言:臣聞乘雲駕羽者,非以逸樂其身;觀風設教者,將以宏濟於物。故後予胥怨,幾望湯來,吾王不遊,?思禹會。伏惟天皇察帝道,敷皇極,一日二日,智周於萬幾;先天後天,化成於四序。雖鴻名已建,銘日觀而知尊,而膏澤未流,禦雲台而不懌。市朝之邑,天地所中,四方樞會,百物阜殷,爰降恩旨,行幸東都。然以星見蒼龍,『日纏朱鳥』,清風用事,庶彙且繁,桑翳葉而眠蠶,麥飛芒而?雉。…」《全唐文/卷0217》代皇太子請停幸東都表 崔融(唐)
「…東方木也,其星倉龍也。西方金也,其星白虎也。『南方火也,其星朱鳥也。』北方水也,其星玄武也。天有四星之精,降生四獸之體。…」「論衡」物勢篇第十四 王充
「…南方火也,其帝炎帝,其佐朱明,執衡而治夏。其神為?惑,其獸朱鳥,其音?,其日丙丁。…」「淮南子/天文訓」
これらを見てもわかるように「天帝」を守護するとされる「四神」のうち「朱鳥」は「南方」にあり、色は「朱」つまり「赤」、季節は「夏」、また「火」を象徴するともされます。そのことは「炎暑の原因」とされることなど、「シリウス」についての伝承とよく重なるといえるでしょう。
またこの「朱鳥」の起源は「殷周代」まで遡上するとされますから、時代的にも齟齬しません。後に別の星、「うみへび座」のα星「コル・ヒドラ」(別名「アルファルド」)が「朱鳥」の星であるとされるようになるのは「シリウス」が今のように「白い星」となって以降のことではなかったでしょうか。つまり、その色が「朱鳥」の名に似つかわしくなくなった時点以降「コル・ヒドラ」が「朱鳥」とされるようになったものと推測します。
確かに「コル・ヒドラ」は「赤色巨星」に分類される星であり、「赤い星」と言い得ますし、また「シリウス」と「コル・ヒドラ」は天球上でそれほど離れてはいないことも重要な点です。「おおいぬ座」の一部は「うみへび座」と境界を接しており、また「シリウス」と「コル・ヒドラ」は天球上の離角で40度ほど離れているものの、春の夜空を見上げると同じ視野の中に入ってきます。このことからいわば「シリウス」の代役を務めることとなったものではないでしょうか。しかし「コル・ヒドラ」がそれほど明るい星ではないことは致命的です。周囲に明るい星がないため目立つといえるかもしれませんが、「天帝」を守護するという重要な役割を担う「四神」の表象の一つとするにはかなり弱いといえるでしょう。(2等級です)これが「朱鳥」として積極的に支持される理由はほぼ感じられなく、「シリウス」の減光と「白色化」よって急きょ選ばれることとなったというような消極的選定理由が隠れているようにみえます。
ところで時代は下りますが、中国の「清」の時の書物に『歴代建元考』というものがあります。この中には以下のようにあります。
「持統天皇 吾妻鏡作總持 天智第二女天武納為后因主 國事始更號日本仍用朱鳥紀年 在位十年後改元一 太和」
つまり、「日本」と国号を変更したのは「持統天皇」である、というわけであり、「国号変更」の時期としては「朱鳥改元」と同時であるようです。つまり「持統」に至って「国号」が変更されたとするわけであり、その時点で改元されたものが「朱鳥」というわけです。ちなみに、この時点において「朱鳥」というものに対する「倭王権」の認識は、「朱鳥」が「シリウス」を通じて「太陽」を指向したものであり、さらに「シリウス」が「火瓊瓊杵尊」であるとしたとき、「朱鳥」改元という事象が「皇孫」への「禅譲」という事実を反映したものと見ることもできそうです。つまり「日本」という国号変更と「朱鳥」への改元とは「太陽」と「シリウス」の関係に相当するものであると同時に「皇祖母」と「皇孫」との関係でもあったと思われるわけです。そのことは「鬼室集斯」の墓碑の記述から「朱鳥」の元年が「丙戌」となりますが、それは「朱鳥」の意義に対して「五行説」の影響を考えると「陽気」となる「丙」の年が考えられることと整合します。この年次はいってみれば「天下り元年」とでもいうべきものだったのではないでしょうか。(これらについては後述)
(※)林巳奈夫「4神の1,朱鳥について」(『史林』77(6)一九九四年 史学研究会)
(この項の作成日 2011/07/21、最終更新 2016/12/17)